東日本大震災からの1年

2012.3.11 14:46
東日本大震災および津波により被災された方々と、そのご家族に対して、
心からお見舞い申し上げます。

今日で、東日本大震災から1年を迎えます。

地震、津波による災害で多くの尊い命が失われましたことに、ここに 謹んで
哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈りいたします。

くしくも前日の3月10日は、67年前の1945年に、東京大空襲により、
10万人もの命が失われた日でもあります。

同じ日本で起こった、こういった悲しい現実を風化させないよう、我々の心に刻み、
それらを次の世代へつなげ、より良い社会を築けるよう、努めていきたいと思います。

昨年、弊社で行った支援で被災地を伺った際、
多くの小さな子供たちも避難を余儀なくされていました。

でも、その子供達は皆明るく、元気。
被災地や日本の復興には、この子どもたちの笑顔があれば、けっして無理ではないと
思ったものです。

我々は、何気ない日常が、当たり前に訪れてくると思いがちですが、実は、
大切な人たちや、想い出、それらは多くの偶然が重なりあい、とても貴重で、
かけがいのないものではないかと思います。

今回の震災は、多くの悲しみを日本にもたらしました。
震災自体は、憎むべきツライことではありますが、そのようななかでも、
日本人として、生まれ育ったことに誇り、絆を持てるエピソードもありました。

ここで、今回の震災でおきた、それらエピソードの一部を下記に記します。

①「6メートルの津波がきます。避難してください」。11日、宮城県南三陸町の防災放送担当の職員、遠藤未希さん(24)は津波にのまれるまで、防災対策庁舎2階で訴え続けた。最後は声が震えていた。

② 「内陸へ行け!」。仙台市の交差点で仙台南署の渡辺武彦警部(58)は警棒を振り回しながら避難誘導し、殉職した。この誘導で助かった会社員、鈴木和美さん(26)は今月5日、同署で涙ながらに誓った。「助けていただいた命。悔いのないよう生きていきたい」

③津波が襲う直前、岩手県大槌町の加藤宏暉(こうき)町長は役場の駐車場で対策会議を開こうとしていた。「寒いからもう一枚服を羽織ってこいよ」。町長のこの言葉で東梅政昭副町長は庁舎内にとどまり難を逃れた。町長は遺体で見つかった。
「町長の力に及ばないかもしれないが、町民のため復興に全力を尽くす」。副町長は公民館の災害対策本部で指揮を執る。

④自衛隊の友達から「死んでも悔いはない」って。現地にいけない私の分まで頑張っている友達。私の誇りです!

⑤避難所で、4人家族なのに「分け合って食べます」と3つしかおにぎりをもらわない人を見た。凍えるほど寒いのに、毛布を譲り合う人を見た。きちんと一列に並んで、順番を守って物資を受け取る姿に、日本人の誇りを見た。

⑥旦那さんが自衛官の友人より。以前息子さんが「パパは戦争がお仕事?」と涙ながら聞いてきた事があったそうだ。誰かの心ない言葉に傷付いたんだろう。今、息子さんは毎日TV画面に向かい「パパ頑張れ、パパのお友だち頑張れ!」と叫んでるって。「僕も自衛隊になる!」って。

⑦父が明日、福島原発の応援に派遣されます。半年後定年を迎える父が自ら志願したと聞き、涙が出そうになりました。「今の対応次第で原発の未来が変わる。使命感を持っていく。」家では頼りなく感じる父ですが、私は今日程誇りに思ったことはありません。無事の帰宅を祈ります。

⑧自衛隊が救助できた人1万近いらしいし感動 “福島の奴と話せた時に自衛隊の無双ぶりをきいた。 マジですごいらしい。背中に年寄り2人背負って両腕に年寄り1人ずつ。計4人の年寄り抱えてダッシュとか普通にしてるらしい。それなのに 食事も睡眠もろくにとらず、笑顔でがんばってるようだ。



我々も、使命感を持ち、これから先、与えられたものに感謝し、被災地への
直接的な支援は勿論、業界やユーザー様にメリットのあるサービスの提供を継続し、
経済活動や雇用面など、間接的な支援体制をも整えられるよう、努めて参ります。

けして震災を風化させることなく、自らが誇りとして感じてもらえるよう。

株式会社ReP

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